仕事の契約があと2週間で終わる。契約という仕事形態では、よくある状態だが。当初私一人だけかと思ったが、ひょっとすると他の人も切られてくるのかもしれない。切られる者たちの心境は、私を含め穏やかではないだろう。そもそも、契約という仕事形態が、そういうものなのであり、承知で始めているわけだが。まあ、社員であっても、会社が続かなくなった経験が一回。社員であっても、上役から追い出しにあったのが一回。アメリカではある。
社員になるほどの力のないものは、こういう目に合うのが常である。だが、人の気持ちを考えると、とてもいい制度とは言えない。一部の会社にとって能率効率の良い社員が高給をもらい居残り、そうでないものは、ますます厳しい生活を余儀なくされる。社会的弱者から抜け出せないものは絶望するかもしれない。私もそうだったかもしれない。
昔は、これを、当然と言っていた、自分がいた。今は、切られる立場なので、そう当然とは言えなくなっている。人をお金というか、ビジネス上の尺度で判断し区別差別するのが、今の企業形態だ。企業がお金を生業としていると、この形態が、生々しく、現れる。
だが、こういう価値観は、非人間的な環境を生み出すのではないか、企業にとって効率の良い社員の子息も、同じ考えで生き残るように育てられ、ひいては弱者にならないように、自分が良ければ、ということを目指すようになる。私がそうだった。今はそんな力もないことがわかりできないが。
企業が社会全体を考え貢献を考えるようになったら、それは、少し違うかもしれない。弱者や悲惨な状況を生み出さないように考える企業なら、違うかもしれない。政府は建前、社会保障のようなことをある程度している。私の住むワシントン州政府が、多少はこういう役割をしているかもしれない。しかし、政府も企業と結びついて利益をあさる人が動かしている場合もあるかもしれない。人の欲望は、似ていると、自分の人生から思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿